幼いころ、私は「自分らしい文字」が書けないことに小さな劣等感を抱いていました。
習字教室に通っても、文字はいつも半紙の枠からはみ出してしまう。
それを「個性」だと受け止め、のびやかに導いてくれた師との出会いが、
すべての始まりでした。
学生時代、書道の奥深い芸術性に心を奪われ、古典を臨書するなかで、
その世界に深くのめり込んでいきました。
中国や日本の石碑や木簡に刻まれた文字の呼吸と気配
——そこから吸い込むように学んだ表現は、今も私の創作の骨格となっています。
墨を磨りながら瞑想をする日々は、私にとって何より豊かで幸福な時間でした。
やがて全国展で最高賞や特別賞をいただく機会にも恵まれましたが、
次第に賞や会派という枠組みから距離を置くようになりました。
私が求めているのは「書道」という名の中に収まるものではなく、
もっと自由で、感覚的で、境界を超えた「墨芸術」だったからです。
私の作品は、日本文化の静かでありながら深遠な精神に根ざしています。
それは、自然、空(くう)、
そしてあらゆるものの儚さとの長い対話によって形づくられてきた感性です。
私はこの遺産を外の価値観に合わせて変えることはせず、
筆ひと運びごとに息づかせ、間を空に溶け込ませています。
作品を生み出す瞬間は、私にとって音のない美しい音楽を聴くようなひとときです。
旋律はなくとも確かな調和があり、耳には聴こえないのに、深く澄んだ響きが存在している。
その響きは、自分の内側から“生まれる”というよりも、
どこか遠く、あるいは深くから届く——そんな感覚があります。
私が描く線は単に書かれるものではなく、その瞬間に生まれ、
呼吸、動き、そして目に見えない感情の流れに導かれます。
ビジュアルアプローチの一例として、日本のアニメ『ドラゴンボール』から
着想を得た6部作があります。
各作品はS10サイズで、単体では抽象画として成立し、
部屋の壁にも自然に溶け込みます。
しかし6点を並べると「龍」という文字が浮かび上がり、
現代的な抽象表現と文化的象徴を架橋する隠れた物語が現れます。
私は、このように作品が複数の視点——親密さと広がり、直感性とコンセプト性——で
機能することを大切にしています。
美的感覚が世界規模で均質化しつつある今、私の作品は
——私が生まれた文化の土壌でしか芽吹かない、意味のかすかな陰影や、静けさ、
そして「ただ在る」という感覚——を受けとめる器として宿っています。
私は、この本物の姿を守ることこそが、国境を越えて、
人の魂の普遍的な部分に響くと信じています。
アーティスト名「Saiko_truecolor」には、
「自分自身の真実の色を生きる」という願いを込めています。
ここでいう「色」は単なる色彩ではなく、
仏教における「色即是空」にも通じる、心の本質を意味します。
私は「色」に生き、「空」に筆を託す——そのあわいに生まれる筆線が、
見る人の心に寄り添い、時には包み込み、時には背中を押す存在でありたいのです。
いま、私は古典を礎としながら、境界を越えた新しい書のかたちを探し続けています。
墨の馨り、筆が玄(くろ)を受け入れる静けさ、筆線が空へと溶けていく瞬間。
そのすべてが、私の「真実の色」を描く旅の一部なのです。